TOKYO CURIOSITY

世界の実験室「シブヤ」で、今、何が起きようとしているのか?

世界の実験室「シブヤ」で、
今、何が起きようとしているのか?

柳本尚規東京画参加作家/東京造形大学名誉教授/写真史研究/写真評論

いまは世界のどの都市も、新たな文明波及の実験室のようになっている。アジアの東端で、東西の文化文明を受容しながら育ってきた日本の、なかんずく東京もその例にもれない実験室のひとつだ。
マスメディアの拡張は社会の質へも大きな変化をもたらし、結果、現代人をかつての伝統や自己の確信に基づいていた人々と異なって社会環境との画一的な適合をのぞむ他人志向型と名付けられたタイプを標準のものとした。こうした人々が増大した社会は、変化の類型化やスピードにも寛容である。その結果私たちには、変化をあまり重要なものだとは思わなくなってきたきらいがある。
私たちの意識は意外と脆いもので、昨日まであった建物が一掃されると翌月にはもうその正確な姿を思いだせなくなってしまうほどなのに、それを変化を受け入れる能力が高くなっていると思うようになっているのかもしれない。
だとすればその能力とは、<写真>の世界も現実の世界の一部だと思うようになった、つまり身体の中に写真が宿るようになったからだと考えることができる。変化への寛大さは<写真>への依存の結果であり、つまり私たちは写真という記憶と共に生きるようになっているのだ。
それならば、豊かな記憶が共有されなければならない。さまざまな現実があること、あったことを、そしてさまざまな異論があったこと、そして重要なことは言語外の現実を包み込んである<写真>の現実が数多く記述されなければならない。
東京実験室を「シブヤ」と名づけた。渋谷は東京の中もひときわ変化の激しい街区である。キュリオシティーをよびさます光景や雰囲気にみちている。私たちは現実の中に潜むキュリオシティーの資源から、その出自を見つけたいと思っている。写真家はいつも自分の目を奪うものの由来に興味を持つものだ。

見つけようとする作業の堆積がやがて次世代のキュリオシティーの資源となるだろうと思っている。この作業こそがラボラトリー「シブヤ」の実験である。どのような資源として次世代に残せるのか、という実験である。意思をたたえた感覚も冷静な観察も、つまり表現も記録も、やがて残るのはそこにうつっているものそのものになる。そしてまた新たなキュリオシティーをよびさます資源が埋まってゆくだろう。それを発掘し意味と意味されるものの解釈は、やがてくる時間に生きる人々にゆだねることになる。